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アル=ムクタフィー・リ=アムルッラー(1096年4月9日 - 1160年3月12日)はアッバース朝の第31代カリフである。902年に即位した第17代カリフ、ムクタフィーもカナ表記は同じであるが、綴りが異なる。28代カリフ、アル=ムスタズヒルの子で、先代アル=ラーシドの叔父にあたる。マムルークの購入によって軍事力を増強し、バグダードに置かれていたセルジューク朝のシフナを追い出しスルタンの宮殿や領地を没収した〔三浦 p. 278〕。1157年にはセルジューク朝のムハンマド2世のフトバを切っている〔Ibn al-Athir p. 82〕。 == 生涯 == 1124年、彼の後を継ぐムスタンジドが生まれている。 1136年、セルジューク朝のマスウードにより甥ラーシドが廃位、ムクタフィーが擁立され即位する。この時、彼の兄アル=ムスタルシドの宰相の一人だったアル=ザイナビーの推挙があったというが、ムクタフィーは即位後アル=ザイナビーとの関係を悪化させ追放している〔イブン・アッティクタカー p. 241〕。 1147年、ムスタンジドを後継者に指名し、金曜礼拝のフトバでムスタンジドの名前が唱えられるようになる〔Ibn al-Athir p. 16〕。 1148年、周辺のアミールの連合軍がバグダードを包囲したが、ムクタフィーは武将イブン・フバイラの活躍でこの攻撃を退けた。翌1149年、ムクタフィーはイブン・フバイラを宰相に任用する〔Ibn al-Athir p. 32〕(なお、イブン・フバイラはサラディンの側近であるイマードゥッディーン・アル=イスファハーニーが若いころ仕えていた人物でもある)。 1152年、セルジューク朝のシフナを追い出し、1157年にはセルジューク朝のフトバを切り、スルタンであったムハンマド2世の対抗者スライマーンを支持し独立傾向を強めた。ムハンマド2世はザンギー朝モスル政権等の支援のもとバグダードを包囲するが、ムクタフィーはこれに耐えぬいた。この試みが成功したのはイブン=・バイラの力が大きい〔イブン・アッティクタカー p. 244〕。 1160年、内臓の病により死去〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ムクタフィー (12世紀)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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